広告会社でアートディレクターとして働く傍ら、「日本酒せんきん」「AMBIENT KYOTO」などのロゴデザイン、美術館などの宣伝美術などを手掛け、自身の作品制作にも積極的なグラフィックデザイナーの田中せりさん。同じ武蔵野美術大学出身で、共通の仕事を複数手掛けるSpoonプロデューサーの佐藤博美と対談をしていただきました。ふたりの本当にやりたいこと、仕事のモチベーションはいったい!?
まず、アートディレクター/グラフィックデザイナーになるまでの道のりを聞いてみたいです!
幼いころから描くことしかやってなかったんです。父が音楽家で、祖父は椅子職人で、手に職を持っている大人が身近にいる環境。自然と「自分でつくる」が当たり前になって、遊びも友だちと演劇をつくったり、未来のホテルの設計図を書いたり、家族新聞を発行したり。 親が家に連れてくる友人に、音楽家や美術家の人が多かったので、その影響もあって最初は絵本作家になろうと思っていたんです。
特別な環境ですね。
今思えば、そうですよね。学校も、美術部が盛んな中高一貫校に。年3回の講評会がすごく厳しい、体育会系の美術部でした。キャンバス40号を2枚出さなきゃいけないから、徹夜で油絵を描いて。大学も油絵学科とデザイン学科で迷いました。 ただ、父が「やりたい仕事と、生活を養う仕事は、別にしない方がいい」と。父は音楽家の仕事の傍ら音楽の教員をしていて、芸術家一本で生活していくことは簡単ではないと感じていたので、デザイン科を選び、就職をする道を選びました。 佐藤さんも油絵をやっていたんでしたっけ?
美術科のある高校で、油絵もやりました。私が絵や映像に興味を持ったのは、父の影響で見たビートルズの『イエロー・サブマリン』というアニメ映画をビデオで、絵が動くのって楽しいなって。それを見て真似して絵を描いていました。
お洒落だなあ。あれを子どものときに見たら衝撃だろうな。
あとは、MVの影響が大きいです。木村カエラちゃんやBOOM BOOM SATELLITESのMVを撮っていた長添雅嗣監督の作品など。学校から早々に帰ってきては、MVばっかりパソコンで見ていました。 だから高校は絵を描けて、バンドができる学校を選んだんです。美術科があって、軽音部があるところ。高校ではファインアートを一通りやってみた後で、デザイン専攻を選んだのですが、みんなレベルが高かった。
高校でその選択をした人たちなら、きっとレベルも高くなるよね。
でも私が興味あったのは映像だったので、デッサンなどに全然集中してなかったんですが。。。進路を決める時に、幸運にも長添監督の行った大学の学科を見つけることができて、武蔵野美術大のデザイン情報学科に入りました。
デザイン情報学科ではアウトプットはなんでもよくて、考えるプロセスの方を大事にします。学科長の教授が、「自分ができなくてもいいんです」って。ファインアートの人たちとは違って、できる人を知っていて集められればつくれます、と。
プロデュースとかディレクションということですよね。
ずっと自分がつくるイメージだったんですけど、「そうか!」と腑に落ちて。そのままプロデューサー側に。
たしかに、美大でそのアドバイスってハッとするかも。普通は社会に出てそれを知るもんね。実際、デザイン検証で自分の手を動かす仕事と、整理や伝達といった周りの人の手を借りる仕事は半々。自分の手の中で収まる範囲より大きなプロジェクトを動かせるということを知ったわけですね。
そんなふたりの学生時代の仲間たちは、広告業界に入ったり、プロダクションに入ってきたりしているんですかね。
私の同級生たちは、〇〇デザイナー、〇〇ディレクターが多くて、奇跡的にアーティストがいるかどうか、という感じです。
佐藤さんって、お金や進行だけを管理するプロデューサーではなくて、佐藤さん自身も「つくるのが好き」なプロデューサーであることが伝わってくるんですよ。いつも佐藤さんの視点でリサーチしてくれますし。「最近このブランドがいけてるんですよ」とか、「20代の子がこう言ってました」とか。常につくり手側で、やりたいことがあるんだろうな、好きなものがあるんだろうなとわかるので、意見を聞きたくなるんです。
うれしい。
Spoonさんはみなさんそういう雰囲気ありますよね。
もちろん、進行や段取りは絶対に外さずがんばるところなんですけど。私はクリエイティブの方々と企画をやる機会が入社当初から多かったんです。その打ち合わせで、別に何も言わないで2時間過ごしてもよかったのかもしれないのですけど。。。参加しているんだったら一緒に考えた方が楽しいなと思っていました。
Spoonさんは一緒につくっている感じがして、大好きなんです。ここ(最上階&テラス)でご飯つくったり、仕事だけでなく仕事の周りの環境や人間関係づくりも楽しくモチベートしてくれる。。。面倒くさいことはいっぱいあると思うんですけど、どんなことも同じ目線で検証して、一緒につくっている感じがね。私が最初にSpoonさんと出会ったのは、6年前の正親篤さんとのプロジェクトです。
アミュプラザ長崎のお仕事でしたね。CMも季節ごとにつくって。せりさんのデザインがお店の中に溢れて。クリエイティブチームも弊社チームも年齢が近い感じで1週間くらい出張して、すごい楽しかったですよね。
楽しかったよねー!
正親さんとはその後、オリンピックのキャンペーンを同じチームでやったり、どんどん大きい仕事を一緒にやっていくように繋がっていきました。
せりさんは特殊な働き方をされていますよね。ものづくりの仕方として理想的。
会社の仕事と、個人に依頼をいただく仕事が半々くらい。会社の仕事は、私に直接依頼が来ないような新しい分野が多いので社会勉強になります。グラフィックデザインというより、ブランディングとかプロジェクトのアートディレクションの仕事が多い。
会社の仕事を社会勉強って言っているの、おもしろいです。
会社のみんなはプレゼンも上手なので、私のデザインもすごく説得力のあるものに生まれ変わったりするんです。全然違う能力で、それをシャワーのように浴びておくのは私にとって脳の筋トレで、いい筋肉痛になる感じ。会社の仕事では自分にない根っこを伸ばして、個人の仕事は、自分の得意分野の枝葉を伸ばしているイメージ。その両方を行き来しているのかなと。
お父さんのお話で腑に落ちたんですけど、ものづくりが仕事というよりライフワークというか、生活の一部なんですね。
それはあるかも。仕事に夢中で、趣味を入れる余裕がないんですけどね。もう少し時間の使い方を有意義にしていきたいんだけど。でも、歳を重ねても仕事と遊びが半々で循環するといいなと思っているんです。前に、岩手の銭湯施設のデザインを友人のクリエイティブディレクターと携わったのですが、その仕上がりを見に旅行したり。音楽家の蓮沼執太さんのアルバムのデザインを担当しているんですけど、各地のライブに合わせて展示を企画して一緒に周ったり。こんな風に半分が遊びになったらいいな。そこで出会った人とまた仕事をしたり。
憧れる働き方!
佐藤さんの仕事のモチベーションってなんですか?
経験値アップが一番のモチベーションです。広告の仕事の題材が、個人的にはあまり興味のないことが多いんですよね(笑)。でもそれが毎回おもしろくて。以前も企画で「大人気女優を起用することは決まっている」けど、私たちは全くピンとこない。というのがありましたよね。
なぜ人気があるのかを調べてくれたよね。それをまとめたのみたら、この人すごい!てなるんですよね。
そうそうそう。
それは結局企画だけで実施はされなかったんですけど、それ以降その女優さんをすごく素敵だなって思うようになって。だから無理やり知らないことを知ったり、好きになる部分を見つけたりというきっかけになるのはおもしろい。
同時に、全然仕事につながらないかもしれないアイデアを、監督とかと考えることは続けたいと思っています。年齢が上がってきて、自分の興味のあることに取り組むということをまったくしないで年を取ったら大変だって思ったんですよ。本当に愛せる何かをつくれないで年を取ったらまずいから、いろんな人と“形にしたいおもしろ話”をしています。
それはMV?
それに限らず、監督が本当につくりたいものに興味があります。その人たちが好きでやってみたいということを、実現したいんです。
佐藤さん自身が「こういう映像をつくりたいから、だれか監督一緒にやりましょうよ」ではなくて、監督の方がやりたいことを佐藤さんが一緒につくりたい?
そんな気分です。監督のつくるものがめちゃくちゃ好きだったら、それが自分のもともとやりたいことに近い気がして。せりさんが有給を使って自分で仕事をしているようにやっていかないと、本来つくりたいものなんてできないですよね。
私もそんなに自主制作できているわけではないんだけど、一個展示をやってみると、こっちから会話を投げかけていることになるんですよね。するとそれに近い仕事が寄って来る。なかなかできないけれど、自分から投げかけないと待っていてもそりゃ来ないよなって。
制約のある仕事のなかで、クリエイティブを大切にする難しさはありますか。
大人数の仕事は、「ここらへんかな」と全員が探って答えを出している可能性がありますよね。なるべくそうしたくないけれど、大勢でやればどうしてもその部分は出てくる。スケジュールや予算もあるから、私の1番というよりは、みんなの3番くらいのものができる。もしかしたらその方がパイが広いのかもしれないけど、そういう難しさはありますね。 社会人5年目くらいまでは、自分の意志はさほどなくて、答え合わせができればいいかなという感じで仕事をしていたんです。でもそれだと、自分のなかに積み重なっていくものがなくて空っぽになっていくんです。消費されてしまっているような。 指名で依頼をいただいて、私のデザインを期待してくれる人と、私もその仕事を良くしたいという関係性が築けるようになってからは、消費されている感覚がなくなった。存在意義なのかなあ。そういう体験が増えてからは、大人数の仕事は「みんなの答え」を知る機会かも、と割り切れるようになりました。
自分の得意を発揮できない仕事だけをずっとは、できないですよね。
もちろんチームの方が予想外の展開になったり、大きな規模になっていく面白さはあるし、不可抗力で予期しない方に転がっていくのは、好きな方ではあるんですけどね。ただ、広告の仕事とグラフィックデザインの仕事って、制作費ゼロが何個違うんだっていう落ち込みもあるんですよ。広告はすごい規模で動いているのに、文化的で意義のある仕事ほど予算が全然ないことが多くて。
わかります……。
佐藤さんは独立とか考えていないですか。
会社に入れてくれて本当にありがとうと思っているので、全然ないです。学生時代はへっぽこな作品しか作れない感じだったので、ちゃんと社会人になって何年も勤められるなんて、ありがたさしかない。
プロデューサーでフリーになる人っていますか?自分で会社を作る人が多いのか。
独立とか以前に、女性のプロデューサーが家庭を持って産後復帰することが伝説レベルのレアケースなんですよね。女性スタッフは増えていて、それはとっても嬉しいんですけど。
たしかに、女性プロデューサーってあまり見かけない。
女性プロデューサーもたくさんいるんですけどね。妊娠したら辞めるというより、それより前にいろんな理由で辞めている気がします。もう少し穏やかに暮らしたいということなのか。。。とあるひとりの美術スタッフさんは、息子さんがゼロ歳から復帰していて、超元気をもらいました。未来があるかも!と。
たしかに、お仕事大変ですよね。Spoonの方たちみんな物腰やわらかだけど、どういう精神で……? (笑)
私が入ったときは、採用に「こういう人を求めています」みたいな提示があって、「何があっても涼しい顔でひょうひょうとやり遂げる人」みたいな。
それ今聞くと結構ドキッとしますね、でもたしかにSpoonにはそういう人が多くて、クリエイティブ側はめちゃくちゃ助けられています。「またスケジュール変更か」となっても、「無理です」と言わずにひょうひょうと「やばいですねハハハ~」と。その包容力に本当に救われています。 羊文学のライブビジュアルを一緒にお仕事したとき、佐藤さん資料やメッセージにいつも羊の絵文字を入れるんです。資料作りひとつとっても神経質にならないで、ひょうひょうというか、マイルドというか、そのちょっとした物腰に救われる。
ずっと一緒にやっている佐野と私はまったく違う人種なんですけど、唯一いて座という共通点があるんですよ。いて座って「異常に前向き」らしくって。「なんとかなるっしょ精神」が強すぎて、後輩たちは引いているというか…… (笑) 佐野は大変なときほどイキイキしてますよね。「おもしろくなってきたぞ~」みたいな。
敬ですよ。そういうプロデューサーさんに助けられてます。私がいつも一緒にお仕事している印刷会社さんもそういう人で、いつも助けてもらっていて。ヤバくなると笑ってくれるし、「こんな実験したい」と相談すると「おもしろそうだからやってみましょう」と言ってくれる。それでモチベーションも上がるし、出来ることが広がることがあるんです。あんまり甘えてはいけないとも思いますけど。
構想時にできそうだなってことは、全然おもしろくないことになる。できそうにないとか方法が分からないことを、どうやってできるか考えるのが楽しいし、実現できるとやっぱいいものになる気がします。
すごい!その精神ってどこで培えるの?体育会系だった?
いやまったくです。諦めが変に悪いのかも。。。打ち合わせで有識者が「それは技術的にできません」と言ったとしても、「うーん…なんかでもできるんじゃない?」って。で、2週間くらい実験して、掘っていったらできるんですよ。
(笑)前向き!
田中せり
アートディレクター・グラフィックデザイナー 1987年生まれ。
2010年武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。同年電通入社。普遍性と柔軟な展開性を両立したグラフィックデザインを軸に、企業のCI開発や、美術、音楽等の領域のアートディレクションに携わる。JAGDA新人賞2020、CANNES LIONS、NY ADCなど受賞。
佐藤博美
Spoonプロデューサー 1992年生まれ。
2015年武蔵野美術大学デザイン情報学科卒業。相鉄・東急直通線開業記念ムービー『父と娘の風景』、Welcia『いいものは、いいひとだ。」などの広告作品から、ミュージシャンのビジュアル、ジャケット、PR用映像など、GR・ムービー問わず幅広く制作。 2022年ACCフィルムクラフト部門スタッフ賞受賞。